不安神経症でも生きてきた

不安神経症を21歳で発症して四半世紀以上経ちました。予期不安のみになり服用がなくなってからは18年。診察内容や認知行動療法での治療について、また、日々の思いなどを書いています。

ずっと得体のしれないものに付きまとわれている感覚のあった私だけど、
高校2年~3年は、人並みにに高校生活をエンジョイしていた。

卒業後は服飾デザインの専門学校へ。

 

その頃からだ、環境が変わったせいか、吐き気に悩まされたのは。
何を思ったのか吐き気には二日酔いのドリンクだと、
嘔吐恐怖症だった私は、そこかしらの薬局に駆け込んでいた。

そのうち学校にも慣れ、吐き気は治まった。

 

それからしばらくしてあの出来事が起きた。
今も苦しめられる、今も夢でうなされるあの出来事が。

あれが私の地獄の幕開け。

何もかもに裏切られ、何もかもが信じられず、絶望した。

 

それからは、裏切りの連続。
20歳にもまた大きな出来事が。

ついに私は心も体も壊れてしまった。

ふらつきが出だし、耳鼻科受診。
検査の結果、異常なし。

もう行き付くところはあそこしかない。

 

地元で有名な精神病院へ一人でむかった。
身体的症状だけではなかった。精神的にもおかしくなってる自覚があったから。

てっきり20歳の時の出来事が原因だと思ったら、
はっきり初診の時の医師が言った。

19歳の時の出来事が原因だと。

後に替わった担当医も言った。

「八方を壁で塞がれてこうなったんだよ」と。

 

病名は「不安神経症」

「ノイローゼって聞いたことある?」
と言われた時の衝撃。

 

今でも本当に思う。よく死ななかったと。

しばらくして、道で偶然会った男友達にも言われたのだ。

「生きてたのか」

死んでるか、刺してるかと思ってたと。

なかなか言われないでしょ?
「生きてたのか」なんて。

 

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はじめまして。

このブログを書いている、miss.Mと申します。
不安神経症を発症して、四半世紀以上経ちました。

未だ予期不安に悩まされていますが、
暗闇の中遠くに見える小さな明かりを、半信半疑ながらも信じ這い出て来ました。

 

発症したのは21歳。

酒のみでDVの父とヒステリーで過干渉の母(後にパニック障害だと判明)。
そんな機能不全の家庭で、常に恐怖にさらされ育ちました。

この幼年期からの慢性的ストレス&トラウマが元々の原因です。

そして、発症の原因は身内の裏切りによる強い精神的ショック。

フラッシュバックに襲われた一番酷い時期は、
日に3回起きるだけの寝たきりに。
まさに生き地獄でした。

 

31歳には予期不安のみになり、投薬終了。

「これからは勉強のようなもの。認知行動療法というのをやっていくから」
と言われましたが、そこからが長い!

 

2010年43歳で乳がん発症。

それ以降は、不定期に受診しています。


2014年乳がんの薬の変更により副作用が出て(また元の薬に戻した)
それをきっかけに不安が増えてしまい、診察の頻度が上がっています。
(月2くらい?)←今ココ

 

このブログでは診察室でのことや、認知行動療法での治療について、
不安神経症ゆえに思うことなどを書いています。

一患者のブログですので、間違った認識もあると思いますが、
そこはご容赦ください。

 

miss.M

※記事は時系列となっておりません。

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