不安神経症でも生きてきた

不安神経症を21歳で発症して四半世紀以上経ちました。予期不安のみになり服用がなくなってからは18年。診察内容や認知行動療法での治療について、また、日々の思いなどを書いています。

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担当医が決まってからのこと



地元の精神病院で、U先生の曜日に受診するようになった私。

でも、精神科の罹り方なんてわからないし、何を話せばいいのか、
どこまで私の病気と関係ある話なのか、さっぱりわからず、
それ以前に私は心を閉ざしていた。

もう四半世紀も前のことなので、きっかけは覚えてないが、
最初の病院で一度だけ心のうちを泣きながら話したことがある。

多分U先生が「何か困ってることはない?」みたいなことを言ったのだと思う。

「うまく・・・うまく行かないんです」

その当時の私にとって大問題なのは、症状のこともそうだが、
交際している男性とうまく行かないこともかなりの部分を占めていたのだ。

ひと言口にしたら、堰を切ったように涙が溢れてしまった。

今までずっと口をつぐんできた私が、急に感情をあらわにするもんだから、
U先生もちょっと驚いて、その時点で診察時間が過ぎていたので、

「こっちに来てもらっていい?」

と別室に連れていかれて、話の続きをした。

この時の診察内容はこれ以外覚えてないのだが、
「いつもいつもいつも、うまくいかない」という私に、

「だって不安を何とかして貰いたいと思うから、そりゃうまくいかないよ」
とU先生は言った。

(別カテで今度書くが、不安神経症ゆえに人間関係が、
特に男性との関係がうまくいかないのだ。)

担当医について転院


泣きながら感情をぶちまけたのは、最初の精神病院ではその時だけ。
それ以降は淡々と「変わりありません」としか言わなかった。

それが1年くらい続いた頃だろうか、
U先生から開業しますという郵便はがきが届いた。

最初の病院は自宅から車で10分ちょっと。
U先生が開業する病院は、車で40分ほどかかる。

それでも何の迷いもなく、私はU先生についていった。



転院後もやっぱり私は、
「変わりありません」「ふらつきます」とだけ言い、
U先生は「いつもの薬出しておきますね」とだけ言って終了という診察が続いた。

たまに「どうしたらいいのかわかりません」と言うこともあった。

U先生は「何を?」とは訊かない。

いつも「グレーもあるよ」

と言ったけど、
つらいからどうにかしたいのに、グレーのまま過ごすことなんて
出来ないじゃない・・・・と心の中で思ってたっけ。

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担当医が決まるまで


地元で有名な、医療法人の精神科の門を叩いた私。

初診の診察は院長先生だった。
前の記事で書いたように、19歳の時の身内の裏切りが原因で、
不安神経症に罹ったと診断した先生。

次に診察した先生はまた別のN先生。

「念の為検査しましょうね」

と言われた。
何の検査をしたのか忘れてしまったが、心電図をしたのは覚えている。

動悸がする、と申告したのかは記憶にない。

結局内科的疾患を排除する為にしたのかも。
もちろん異常はなし。

自分に合った精神安定剤が決まるまで


院長先生とN先生、各々抗不安剤の処方が違った。
N先生はあれこれと数種類の薬を処方。
院長先生だと思ったが、処方薬を飲んだら理由はわからないが、
上手く歩けなくなってしまって、また別の先生の時に受診。

それが今も診てもらってるU先生。
院長先生の息子さんだ。(変わった苗字で同じだったから多分そう)

処方は替わって、ワイパックスに。
これがぴったり合いよく効いて、私はまた働きに行けるようになった。

このこともあり、私はその後ずっとU先生の曜日に受診していた。

この世でたった一人の大切な人を
信じられなくて泣いている

 

信じられない 信じられない

信じたい

 

信じたい人を 信じられなくて

目に見えるものしか信じられなくて

 

ただただ、悲しくて
泣いている

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