不安神経症でも生きてきた

不安神経症を21歳で発症して四半世紀以上経ちました。予期不安のみになり服用がなくなってからは18年。診察内容や認知行動療法での治療について、また、日々の思いなどを書いています。

家族 診察室

家族同伴で精神科受診


待合室で診察の順番を待っていると、
たまに家族と一緒に診察室へ入って行く患者さんがいる。

本人の症状がひどく、自ら説明が出来ない場合は、
必然と家族が同席し、説明することになるだろう。
だが、私が見ている限りは、そうではないようだった。

かく言う私も、最初の頃、数回母が同席したことがある。
もちろん私が希望したわけでない。

診察室から逃亡


ある日の診察室。

同席した母が言う。
「自信を持ってやればいいんだから」

「自信は後からついてきますからね」

そうU先生が言うも、母はやめない。
どれくらい黙って聞いていただろう。

私はついに耐え兼ねて、大声を出した。

「もういい加減にしてよ!!!」

そう叫んで、私は診察室を出て病院を飛び出し走った。

こうやっていつもいつも否定するんだ。私が悪いだけだって。
何一つ理解しようとしない。

すぐに父が追っかけてきた。
こう書いて気付いたが、症状がひどくなってきてた時期かも知れない。
それまでは一人で車を運転し通院していたから。

その日はそのまま診察室へ戻らず帰宅。
次回の診察の時に、叱られるかと思いながら謝ったら、
U先生は全然怒ってなかった。

ついに先生が怒鳴った


それからまた同席したある日の診察室。

いつものように、母は私を責めていた。
私が何か発言しても、~すればいいだけのこと、
とことごとく否定してきたのだ。

そしたら黙って聞いていたU先生が大声で怒鳴った。

「黙ってなさい!放っておいてあげなさいよ!!」

驚いた母は、心臓があぶって苦しいと言い出した。
私はまだ母の正体がわかってなかったから、
母の手を握り、子供の頃のように母を守ろうと、U先生を睨んだ。

「お父さん呼んできて」と言うので、
私が母を待合室の父のところへ連れていって、診察室へ戻った。

自分の心配をしてるだけ


「自分達が直す気がないなら、せめて黙っていてくれるといいんだけどね、
ああやって治療の妨げだけするから困ったもんだよ。
お母さんはね、自分の心配してるだけだから。あなたの心配なんかしてない」

衝撃的な言葉だった。

でも私は気づいてしまったのだ。
U先生の言う通り、それまでずっと母は自分の心配しかしてないということを。

私が病気で困るのは私じゃなくて、母なんだと。

2015年3月2日 診察

回顧録ばかり書いてると、現在の診察内容について書けないので、
今日は昨日の診察について書くことにする。

前回は2月13日受診。

2015年3月2日 診察


そういえばここ最近ずっと、
「何かあった?」と私が座ると開口一番にU先生が訊ねる。

「別に何かあったわけではないです。
先日出先でクラクラっとしてから、不安がひどくてふらつくんです」

「あれは、脳貧血でね生理現象だから。別に考えないといけないよ」

 不安を区別していない


「脳貧血はじっとしていれば良くなるし、
心因性のめまいと一緒にしちゃいけないよ」

そんなこと言われても、めまいにラベルが貼ってあるわけでもなし、
全部怖いんだもん・・・・

「生活していれば必ず不安になるよ。
車を運転しててここから人が飛び出してくるかも知れない、と不安になるから
徐行したり停止したりするのだし、初めての場所へ行く時は電車に乗り遅れちゃいけないとか不安だから集中出来るのね。
健全な不安と病気の不安を区別しないと。一緒にしてるでしょ。
あなたは不安全てを無くそうとしている

これもずっと言われてる。
不安は必要な感情だということ。

不安がひどくなった原因


「先生、私なんでこんなことになってるんでしょ?」

「薬を疑ったからさ」

そう、ちょうど1年前乳がんのホルモン剤を変更したのだ。
遺伝子検査で飲んでる薬の代謝が低いとわかったから。
そしたら副作用が出てしまい、また元の薬に戻した。
命にかかわることだから不安レベルが高かった、だから不安を無くしてしまいたい、
という前の状態に戻った、と。

何が恐怖なのか


つい一昨日も、一緒に居た甥っ子が翌日発熱し、
インフルエンザではないかと想像し、私に感染したんじゃないかと
恐怖に襲われた。

その時自動思考に気付いた。

甥っ子が発熱→インフルエンザ→私に感染していて私も発症
→服薬→副作用でめまい

そして情景が浮かんだ。自分がコントロール出来ない酷い不安症状に襲われるところを。

私が恐れているのはインフルエンザでもめまいでもないのだ。

そう先生に言ったら、

「一度もそんなことになってないでしょ?(笑)」

「でも昔フラッシュバックしてた時のように、その場にじっとしていられないくらいの
不安に襲われたら、って思うんです」

「それはもう過ぎたことでしょ?
今はちゃんといくつか対処法を持ってる」

「持ってるかな~・・・・」と半信半疑の自信なし。

いつまで予期不安に悩まされるのか


「先生、私予期不安だけですよね?」

U先生うなずく。

「もう治ってる。あとは予期不安だけだから、
これからは認知行動療法というのをしてくんだよ、
と先生が言ってからもう15年以上です。私ってなんでわからないんでしょ?」

ずっと訊きたかったことを訊いてみた。

「不安を無くしたい気持ちが強いからさ」

やっぱりそこ(笑)

「予想が外れたという経験を積むことをしてるのね。
ひどい不安でどうかなっちゃった、なんてことなかったでしょ?」

「まあ、今こうして普通にしてますからね。
私ったら結果に目を向けてないんですよね。怖い怖いって言ってるだけで」

 

とまあ、そんな診察だった。
いつもとあまり変わらないかな。
いろいろ確認は出来たけど。

そして最後に訊いてみた。

「先生、私、来すぎですか?」

「そんなことないよ。空いてたら明日でもいいよ(笑)」

「安心しました。帰りリハビリがてら一人で喫茶店でお茶して帰ります(笑)」

手帳にメモした医師の言葉 2001

2001年、2002年と少ないので、まとめて書くことに。
2000年と重複する言葉もあるかも。

それくらい同じことを口が酸っぱくなるほど言われてるんだろう。

「もうなくなってもいい頃」
なんて言われている・・・・ 
あれから13年経つけど未だなくなってないな~・・・

仕事してもいいと言われてたっけ。
週3のバイトの面接に一件行ったけれど、見事採用されず。
そんなこともあった。

この頃はやっと少しづつ動けるようになった頃。
まだまだ一人で出かけることは出来なかったけど。

2001年のメモ


困り方が違ってる
問題にした時点から問題

原因を考えるのは有効ではない

良くなったり悪くなったりも、そのうちなくなるから

消すことより共存

予測範囲内のことしか起きてないでしょ


2002年のメモ



自分でここまでと限界を決めておいて
前に進めないって矛盾

完璧にしようとするから
知らないことがあると困る

良い時も悪い時も理由を考えない
点検しない

想像の域
もうなくなってもいい頃なのに、しつこいなぁ・・・

波があるんだから、固定しなくてもいい
仕事していいよ

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