不安神経症でも生きてきた

不安神経症を21歳で発症して四半世紀以上経ちました。予期不安のみになり服用がなくなってからは18年。診察内容や認知行動療法での治療について、また、日々の思いなどを書いています。

カテゴリ: 思うこと

以前診察の時にそう言われたことがある。

え?私が?

と驚いた。


「部屋の掃除だって、完璧には出来ないの。
ちり一つなしにするなんで出来ないでしょ?」

と言うU先生の言葉に納得。



完璧とまでは行かなくても、完成度を高くしたいから、
なかなか手がつけられない。

失敗したくないから、挑戦も出来ない。

やる前から、考え過ぎ。


だから、すごくノロい。

そんなこんなしてたら、やること山積みになってしまったよ~~~~~


今日は完成度低くていいから、ちゃっちゃっと片づけようかな~



あ、あとね、目標が高いからなかなか達成出来ず、
その途中にある小さな区切りにも満足出来ない。

これってどうなんだろ。


だけどさ、低い目標なんて、小さな満足なんていらないわ。


思い出した!
0か100か、全てでなければいらない主義だったんだ。
20代の頃はそれがひどかった。今はそこまでではないけれど、
その傾向はある。

これって完璧主義そのものだよね・・・・・


ああ、もうこれ一生このままだろうな~

悔しくて泣いている。



昨日、総合診療科の日だったけど、
疲れと寝不足で頭フラフラしながら行ってきた。

たった一週間、いつもより活発に動いてただけなのに、
それも人に比べたら、全然のレベル。



丈夫な体が欲しい。



そう一言つぶやいたら、次から次へとこぼれ出てしまった。




スタートラインにも立てやしない。



主婦の友人の愚痴が嫌いだ。
子育てが大変?
当たり前でしょ。

そもそも自分が結婚を“選択”し、出産を“選択”したんでしょ。

そりゃ愚痴りたいことも、つらいことも、思い通りいかないこともあるでしょ。


いいじゃん、自分で選択した人生なんだから。



なのに、「○○はいいな~、働かなくても食べていけて」
と言ったやつがいる。


働かなくて、じゃなくて、働けないんだよ!
病気に追いやった親に食べさせて貰わないと生きていけない
惨めさがわかるのか!

私も選択したかったよ、
不安におびえ、寝て暮らしたくなんかなかったよ。

あんた代わりに寝ててくれよ!




選択肢なんてなかったんだよ、人生の全てを諦めるしか。



悔しい。



やっと少し動くことが出来るようになって、悔しがるだけじゃ惨めだから、
持ってるもので勝負するしかない、少しのものを最大限に活かそう。

そう思って頑張ってきた。
愚痴なんて言わずに、

ここ最近、仕事がとてもうまく行って、気が随分晴れてたのだけど、
そんなことで今までの悔しさや惨めさなんて消えやしないんだね。


奪われた時間は取り戻せないんだ。

いや、未だ自由が利かないから、この思いが消えないのかも知れない。




悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて、声を出して泣いている。








疲れた時に聴く曲がある。

フジコヘミング演奏 ショパンの「ノクターン第2番」




4歳から10年間ピアノを習っていたけど、特にクラッシックに詳しいわけでも、
CDをコレクションするでもなく、なんていうか普通にある感じ。
たまにyoutubeで聴きたい曲をぐぐって聴く。

フジコヘミングの弾き方についてよく言わない人がいるが、
まるで人生を歌うように弾いてて、私は好き。

今回疲れがひどくて聴いてたのだけど、いろいろ思い出して、
ノクターンを聴きながら、泣いた。


4歳の時言ったそうだ。

「ピアノ習いたい」って。

多分その頃ピアノを習うのが流行ってて、近所の子達も行ってたんだと思う。
ぼんやり、だけどはっきり覚えてるのは、初回の日、順番を待ちながら皆が弾くのを見てたら、スラスラ弾くもんだから、帰りたくなったのだ。

なんで、楽譜のその音がどこかわかるの?・・・って。

そりゃそうだ、自分は初めてだけど、その子達はすでに何度か通ってるんだから。


自分から習いたいと言ったくせに、1週間全く練習せず教室に行くもんだから、
5分くらいで「やり直し」と終わらされることも何度かあった。

隣り町から来てた同い年の女の子は、お母さんがついてきてたから、
それはそれは丁寧に見てもらってたな~ 私は近所だからもちろん一人で行ってたし。

あの頃から差別を感じてた。


中学2年生になって、親にがんじがらめにされることに反発しだし、
授業もさぼったりしてて、そんな時その年の発表会の楽譜を渡された。

私に与えられたのは「銀波」という曲。


なんで私がこれ弾かなきゃいけないの?・・・・・


その曲は、その女の子が前の年に弾いた曲だったのだ。
一旦持ち帰ったが、次の週、先生に曲を替えて欲しいと直談判した。

そして、貰った曲がベートーベンの「月光」


でも、、、、発表会に出ることはなかった。


それから私がピアノをまた始めたのは、20歳の頃。
どうしても弾きたい曲があって、楽譜を買って自宅で毎日毎日練習した。

その曲はピアノ教室で一番上手で師範の資格も取れるけど、
年齢が満たない、と言われてた人が発表会で弾いた曲。


ベートーベン「テンペスト」




完璧を要求する母親は、何かと私に言ったのだ。

「何一つ物になってない」と。


資格を取れるまでやらないと認めて貰えないのだ。

妹は、習うのが嫌でピアノ教室の日には、どこにも姿が見えなくなってたそうだ。
何もしない妹は何も言われず、期待はずれだと見捨てるような物言いをされるのはいつも私。


それからは、ピアノのふたを開くこともほとんどなくなった。
そんなある日、母が言った。

「ピアノ売ったら」

「絶対嫌!」即答した。

「あんたが買ったんじゃないでしょ、私がお金出したんだから」
そう言われた。


ピアノを習いだした最初の1年は、オルガンで練習をしていたのだけど、
音が残るのでやはりピアノじゃないといけない、ということで買ってもらったのだけど、
母が内職のお金でローンで買ってくれたのだ。


「これは私のピアノ!絶対に売らない!!!」


記憶にないけど、私が習いたいって言ったから習わしてくれて、
夜遅くまで内職をして買ってくれたピアノ、売れるわけない。


一生私の宝物なのだから。


もちろん、そんな事口が裂けても言わないけど。




私は“立派な人間”になりたいと、一度も思ったことはない。


「偉いね~」なんて言われたくもない。



どうぞ、蔑んでくれていい。

深い深い海の底にいるようだ。

子供って望んで産むのではないのか?

心身共に大変なのはわかるけど、なぜにそれを切々と訴え認めてもらわなきゃいけないの?
動物として子供を望み産めたことは幸せじゃない。

 

私は育った環境から、それ以前に産みたいとさえ思わない人間に育ち、
(純粋に子供が欲しいと思ったことがない)

例え妊娠しても、投薬を中断すれば生きることが困難になる為出来ず、
子供を産むという選択肢のない人生を生きてきた。

それは仕方がないと思ってはいる。
そういう親の元に産まれてきた、私の定めだと。

それなのに、ずっとその親から欠陥品扱いされている。
子供を産み育てる大変さを知らないくせにと。

子供を望むのに、産めなかったとしたら、
多分殺したい衝動に駆られてただろう。

だけど私は産みたいと思ったことがない。

※加筆

妊娠出産自体恐ろしいと感じるし、
何より自分自身、子供の人生に親が大きく影響してくることを
嫌というほど味わって(苦しんで)いるので、
とてもじゃないが、子供の人生の責任を取れないと思うのが一番の理由。

※ここまで

だから、産んだかどうかより、産みたいと何の疑問もなく思い、
そして産んで育ててる人の幸せを見せつけられると、
どうしようもない劣等感に襲われる。

 

産みたいと思わず生きてきたことに劣等感を感じるのだ。

土曜日の産婦人科は地獄だ。
家族連れで来ている妊婦さんが多いから。
前回年末の土曜日に行ってしまい、待合室で苦しくなり涙を堪えて座っていた。

私はあの親の立場だけでなく、
子供の立場にもなれなかったんだと。

 

この強い劣等感は一生無くなることはないだろう。

そして冒頭の話に戻る。

切々と大変さを討ったえる人って、そう言いながら
子供を持てた幸せはちゃんとわかってるんだよ。

「子供なんて居ない方が気楽でいいわよ~」と言いながらね。

 

じゃあ、あなたは望まれて産まれてきたんじゃないの?と言いたいだろう。

残念ながら、

結婚したら自然と子供は産まれるもんだ、
とやかく考えるもんじゃない、

と産んだ人から言われたんだよね。

 

そして自己憐憫に襲われる。
毒親に育てられたACの人間は、自分の中の小さな子供を抱きしめてくれる人を
探すだけで一生が終わってしまうのだろう。

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